50代からは過程を楽しむ人生を

- 第1章:はじめに
- 第2章:気づいたら「結果を出さなきゃ」が癖になっていた
- 第3章:50代・60代だからこそ気づける「今の時間」の大切さ
- 第4章:公園への寄り道で見つけた「過程を楽しむ」感覚
- 第5章:まとめ
第1章:はじめに
僕らは物心ついた頃からずーっと「結果」を求められ続けてきたんじゃないだろうか?
ふと、そんなことを考えてしまいました。
まあ、今ほど熾烈では無かったような気もしますが、小学校に入ったらテストがあって良い点数を取らなくちゃいけない。
1年生からすでにそういう結果を求められていたんですよね。
算数で九九を覚えるのも早く覚えなくちゃいけない、みんなより覚えるのが遅いと「頑張りなさい!」とプレッシャーをかけられる。
高学年になるにつれて、そのプレッシャーはよりいっそう強くなっていったんです。
今でこそ「中学受験」する子なんて珍しくもありませんが、当時は中学受験する子なんて周りにはほとんどいませんでした。
ただ、僕は鹿児島出身なんで、鹿児島には「ラ・サール中学」がありましたから、中学受験っていうものがあるのは知っていました。
同級生の子でも受験した子がいたと思います。
確かお医者さんの息子だったような・・・
あまりにも遠い過去なんで記憶が定かではありませんが(笑)
中学から高校に進学する頃には、いよいよ本格的に受験でも結果を求められるわけです。
高校に入ったら入ったで、すぐに大学受験のためにテストでの結果を求められる日々ですよ。
勉強だけじゃなくて、部活とかやってたらやってたで、ここでも結果を求められるんです。
試合に勝たなくちゃいけない。
その前に試合に出られるかどうか、つまりレギュラーになれるかどうかの結果がありますけどね。
僕も高校から部活を本格的に始めました。
ラグビー部だったんですけどね。
幸い僕は1年生からレギュラーになれたんで、その辺の苦労はあまり感じなかったんですけど、それでも次は県の代表だとか、九州の代表だとか、そういう結果を求められたような気がします。
結局ね、どのレベルにいても常にもうワンランク上の結果を求められるのが常だということですよね。
大学に行ってもラグビーやっていましたから、さらに厳しい状況でした。
そして、社会人になったらもう学生時代とは比べ物にならない環境ですよ。
会社員、サラリーマンという道に進んだら、もうとにかく「数字、数字」でしたからね。
過去形で言っちゃいましたけど、まだ現在進行形でした(笑)
どうですか?
僕が簡単に振り返ってみただけでも、ずーっと結果を求められてきた人生ですよ。
当然、僕よりももっと厳しい環境で結果を求められてきた人も多いと思います。
こうやって改めて振り返ってみると、常に結果を求められ続けているわけですから、疲れていないわけ無いですよね。
第2章:気づいたら「結果を出さなきゃ」が癖になっていた
僕らはもう何十年も結果を求められ続けているんですね。
もう何十年もね、そういうふうな人生送ってくると、結果を求めなきゃいけない、自分でなんか結果を出さなきゃいけないって思い込む、そういう癖がね、ついていませんか?
自分では意識しているつもりはないのに、いつの間にかそういう思考になっている。
そして、それが不自然なこととは思わない、普通のことだという感覚だったりしてるんです。
僕も、やっぱりと言うかもちろんと言うか、結果ばかりを追いかけてるってことに気づいたことがあって、それでもなかなかその思考から抜け出せないんです。
「別に結果が全てじゃないよな」ということにね、気づいたこともあったんですけどね。
第3章:50代・60代だからこそ気づける「今の時間」の大切さ
で、やっぱりこの年齢、50代、60代になって分かることってあるんですよね。
50代を過ぎてくると若い頃みたいに焦る必要もなくなってくるじゃないですか?
結果のために今の時間を「犠牲にする」ということに疑問というか違和感を持つようになるんです。
これね、「なんでもっと早く気づかないんだろう」って思うと思うんですよ。
でも、50代、60代までの時間があってこそ気づけることなんじゃないかなって気もします。
それだけ遠回りしてきたからこそ、たどり着ける答えなんじゃないかなって思いますね。
第4章:公園への寄り道で見つけた「過程を楽しむ」感覚
今回ここまで思いつくまま書いてきましたけど、これにはきっかけがあったんです。
僕は営業なんで外出することが多いんですけど、ある時、駅からまあまあ離れているところにいたんです。
で、そこから一番近い駅に行くと次の目的地に行くのに電車の乗り継ぎが不便だったんですよ。
ですから、「これは不便だわ。もっと効率よく行く方法ないかな。」ってんで、Googleマップで調べてみたんです。
そしたら、遠回りして歩けば乗り継ぎに便利な駅があることが分かったんです。
「歩くのもしんどいけど、天気もいいことだし、ちょっと歩いてみるか」
って感じでその駅に向かって歩き出したんです。
もちろん、初めて歩く道でしたからGoogleマップを見ながら、案内通りの道を歩きました。
まあまあの距離歩くことになったんですけど、途中で大きな公園があることが分かったんです。
マップを見ながら歩いていましたからね。
で、その公園が緑も多くてなんか雰囲気も良さげな感じがしたんで、ちょっと遠回りになるけど公園を通ってみようと思ったんです。
正直、僕は普段滅多にこんなことはしないんですけどね。
公園を歩いてみると、大きな木が何本もあって、イイ感じに木陰があるんです。
天気も良かったから、その木陰がすごく気持ちが良くて、風も心地いいんですよ。
木漏れ日がきらきらしてて、空気も心地いい涼しげな肌触りで、なんて言うんですかね、五感すべてで心地いい感じなんですよね。
これがとっても落ち着くと言うか、整ったなあって感じで癒されました。
「長いことこの感じは味わってなかったなあ」って。
その後、公園を抜けて目的地の駅に着いたんですけど、その時までまだ「余韻」が残っていて、「ああ、あの時間は自分にとっていい時間だったな」って思えましたね。
いや、ほんとに脚色なしで素直にそう思いました。

第5章:まとめ
僕がGoogleマップの案内の通り目的地まで脇目もふらず、まっしぐらに進んでいたら、こんな貴重な時間を過ごすことは無かったわけです。
目的地に進むだけがすべてじゃないってことなのかなって思いましたね。
周りを見る余裕を持つことが僕ら世代には必要なんじゃないかって思います。
これは何も物理的なことだけを言ってるんじゃなくて、「結果」というゴール、目的地にただひたすら突き進むんじゃなくて、そこまでの過程を楽しむことが人生を豊かにするような気がします。
今、自分はどこにいて、周りにはどんな景色が広がっているんだろう、そういうことをもっと楽しみにしてもいいんじゃないかな、ってそう思いますね。
ちょっと寄り道してみると意外な発見があるかもしれませんよ。
それでは、また!
