努力は苦痛じゃない!

第1章:はじめに
唐突ですが、50代ともなると集中して何かに取り組む機会が少なくなっていると思いません?
ふと、そんなことを考えたんです。
若い頃はそれこそいくらでも集中することがあったじゃないですか?
たとえば、僕の場合だと学生時代であれば、ラグビーがそうでした。
高校、大学とそれなりに集中してました。
特に高校生の頃は純粋に集中してたと思います。
大学は鹿児島から東京の大学に進学したので、ちょっとチャラついた感じもありましたが(笑)
一応、体育会系でしたから、まあ嫌でも集中せざるを得ない環境でしたからね。
しかも、全寮制でしたから、1日24時間常にラグビー部の連中と一緒なんですよ。
もちろん、先輩も後輩も一緒です。
今考えたら恐ろしいですけどね。
プライバシーなんてものは存在していませんでしたから。
もろ昭和の体育会系って感じでしたね。
今振り返っても、そうですねえ、他に集中したものは無かったんじゃないでしょうか。
ホントは彼女とか欲しかったんですけど、それはかないませんでした。
その反動なのか、社会人になってからは超積極的でしたよ(笑)
世の中すべて自分の思い通りになるんじゃないかって感じで、いろいろと遊びましたね。
大学の反動だったんでしょうね。
よくまあ、あれだけいろんなことにエネルギーを注げたもんだ、ってあきれるくらいにいろんなことを夢中で楽しんだ時期でしたね。
若さだったんでしょうね(しみじみ)
で、ですよ。
そういう時代があって、今はどうなの?って話ですよ。
50代という年齢って、結婚して子供も独り立ちして、家族の行事ごとも一段落したわけです。
そうなると、自分事に集中できる時期なはずじゃないですか。
なのに、それがなかなか見つからない時期なんじゃないか?って思ったわけです。
どうですか?
何かに集中できることがあります?
努力していることがありますか?
「あるよ」
って言える人は、幸せですよね。
僕思うんですけど、「努力できることがあるってことは、実は幸せなことだ」と。
そうなんです、努力できることがあるってことは非常に素晴らしいことなんです。
第2章:昭和の「努力=苦痛」のイメージ
「努力」って言うと、昭和世代はちょっと引いちゃう感じがあると思うんですよ。
「努力=根性」みたいな、ね。
あれですよ、巨人の星的な、あんなイメージ、歯を食いしばって死に物狂いでやるのが努力みたいな感じですよ。
昭和のあの頃って、アニメもドラマも漫画もスポーツものは大体あんな感じでしたよね。
それこそ「スポ根」ですよ。
おそらく多くの昭和世代は「努力」に対して、どちらかと言うとネガティブなイメージがあるんじゃないかと思うんです。
努力は「苦しいもの」「悲痛なもの」、そんなイメージが植え付けられちゃったんじゃないかと・・
ですから、ある意味しょうがないのかなって思っちゃいますね。
そういう時代でしたから。
本当にね、もう昭和ってそういう時代だったと思います。
第3章:努力とは「集中し、没頭している状態」である
でも、努力って本来そういうものじゃないということに最近気づいたんです。
50代という年齢に達したからこそ気づけたといっても過言ではないと思うんです。
最近、集中することが無い、努力する機会が無い、そういうことがあったからこそ気づけたんじゃないかなって思います。
「努力する」ってことは、そこに集中しているわけです。
中途半端な気持ちで努力するってできないですからね。
忙しく何かをしていることを努力と混同している人が多いようですが、それは違うと思います。
「あーもう、もうホント大変だ大変だ」って言いながらやるのは、努力とは違うんじゃないかと。
「努力する=そこに集中している」これって集中できるものがあるってことですから、ある意味楽しい時間なわけですよ。
僕らは今だからこそ、そのことに気づくべきなんじゃないかと思うんですね。

第4章:脳がブレーキをかける理由と、その乗り越え方
ただ、「物事はそう簡単じゃない」ことが多いものです。
こういう風に「努力は楽しい時間」なんて言うと、すぐにできる、簡単にできる、そんなイメージを持っちゃいますけど、実はこれがなかなか大変なんですね。
って言うのも、「努力する」必要があることって、慣れ親しんだものじゃないと思うんです。
と言うか、逆で、今までやったことがないことだから、努力が必要になる訳じゃ無いですか?
つまり、本来、新しいことに挑戦する時に努力することが多いはずなんですね。
ところが、今までと違うことをやろうとすると脳はブレーキをかけてくるんですよね。
新しく取り組もうとすると脳がブレーキをかけるんです。
これはコンフォートゾーンから出ようとするのを脳が邪魔してくるからなんですね。
僕らが新しいことにチャレンジするときに、つい先延ばしにするのは、この脳のブレーキのせいなんですよ。
新しいチャレンジはコンフォートゾーンの外側にありますから、脳がそれは「苦痛」だと判断して「やめろ」と指令を出すわけです。
ですから、「努力」をなかなか楽しいと思えないのは、そういう理由なんですよ。

第5章:まとめ
じゃあどうすればいいのか?
これはもう「意識」を変えていくしかないですね。
「努力を努力と思わずに、自分から望んでやっている楽しいこと」と捉えることです。
これ非常に大事な考え方です。
聞いたことがあるかもしれませんが、「努力している人は楽しんでいる人には勝てない」ってよく言われます
これ、まさしく真理だと思いますね。
ですから、僕らは「努力は自分から望んでやってるんだ」と、そういう意識を持つことが必要ですし、非常に大事だと思います。
昭和の頃に植え付けられた「努力」のイメージを再構築しましょう。
努力は嫌々やるものでもないし、誰かにやらされるものでもないということです。
「努力できるものがあって良かった、これで楽しい時間を過ごせる。」
50代の僕らは、こういう意識を持つことが大切なんじゃないかと思いますよ。
ぜひ、楽しんでいきましょう!
それでは、また!