カッコいいを目指そう!

カッコいいを目指そう!

 

 

 

第1章:はじめに

 

「あなたのカッコいいは何ですか?」

 

いきなり過ぎて面喰っちゃったかもしれませんね。

でも、こんな質問をされたらあなたは答えられますか?

 

僕は答えられません(笑)

なかなか即答できる人はいないと思いますよ。

 

誰でもなんとなく漠然としたイメージはあるとは思うんですよ。

でもそれを言語化できるまで落とし込んでいる人はごく少数でしょうね。

 

そもそも「カッコいい」って何だろう?って思いません?

たとえば、「あっ、あの人カッコいい!」って言ってる女子高生がいて、そのカッコいいって言われている人を僕が見たとします。

 

おそらくですが、僕はその人のことをカッコいいとは思わないと思うんですよ。

どう考えても女子高生と60のおっさん(じいさん?)の価値観が同じとは思えないからです。

 

年齢も全然違う、性別も違う、生きてきた環境も違う、そんな二人の価値観が同じことはまず無いでしょう。

 

つまり何が言いたいかと言うと、「カッコいい」の定義は人によって違うということです。

 

ですから、あなたが「カッコいい自分になりたい!」と一念発起したとしましょう。

しかし、あなたの周りの人にはそのカッコよさが理解できなかったとします。

 

そうすると何が起こるかと言うと、周りは「止めときな」って反対するんですね。

自分が想うカッコいいことが周りからはカッコいいどころか、異質なものに見えるんですね。

 

同じ空間を共有する仲間としてふさわしくない、というような判断を下すわけです。

 

「みんなと同じでいいじゃない。人と違うことをやらなくてもいいじゃない。」

というような空気感で足を引っ張ろうとしてくるんですね。

 

多くの人がその空気を敏感に察して、周りの目が気になってしまうんです。

 

第2章:「カッコいい」は人それぞれ

 

自分の理想・目標とする「カッコいい」は、他人に100%理解されることはない。

僕はそう断言してもいいと思います。

 

同じような趣味嗜好の人が集まったとしても、まったく同じレベルで「カッコいい」の基準が一致することは無いんです。

 

ということは、世の中趣味も違えば嗜好も違う人同士の集まりですから、理解してもらえると考える方が無理な話なんですよね。

 

ですから、周りの目を気にしてたら「一生動けない」ことになっちゃうんです。

理解してもらってから動こうなんて考えていたら、一生動けないんですよ。

 

そういう意味では「筋トレ」も誤解されやすいものの代表格です。

 

たとえば、50代の僕が「筋トレを始めようと思っている」なんて言おうもんなら、「やめときな」と言ってくる人が絶対に一定数います。

いや、一定数どころか下手したら過半数かもしれません。

 

「そんな50も過ぎてマッチョになってどうすんの?」

なんて言ってくるんですよ。

 

「いやいや俺は別にマッチョを目指しているわけじゃないよ」

と言っても話がかみ合わなくなるんですね。

 

なぜか?

それは「筋トレ」に対するイメージです。

 

世間一般の筋トレに対するイメージって、いまだにタンクトップを着て、真っ黒にひやけしてて、ゴリゴリのマッチョだったりするんです。

いや、ホントに。

 

「筋トレ」っていうワードに対する自分のイメージだけで決めつけて言ってくるんですよ。

そりゃあ食い違うってもんです。

 

僕が筋トレでマッチョを目指しているなんて一言も言っていないのに、「筋トレ=マッチョ」イメージだけで言ってくるんです。

 

どうです?

そんな人たちの理解を得られると思います?

 

理解を得ようなんて考えがどれだけ無駄なことなのかが理解できると思います。

 

第3章:周りの理解を求めるな!

 

周りに理解を求めようとするその行為がどれだけ無駄なことか・・

 

でも僕らは、日本人は周りの理解を求めたがるんですね。

ちょっとでも反対されようもんなら「そうだな、やっぱり止めとくか・・」みたいに断念しちゃうんですよ。

 

でもそれでいいんでしょうか?

周りの意見を聞いて、反対だと言われて断念し続けると、「自分の理想」というものが無くなってしまうんじゃないかと僕は思っちゃいます。

 

自分の理想すら持てない人生でいいんでしょうかね?

「なんのために生きているのか?」って考えないんでしょうか。

 

人はもっと自分の理想を追いかけるべきだと思うんです。

 

まあ、偉そうに言ってますけど、正直僕も何回もそんなことがありましたけどね。

でも、だからこそそう思うんです。

 

周りから勝手だとか、わがままだとか言われようが、やったほうがいい。

そう思うんですよね。

 

第4章:それでもやってよかったと思う理由

 

僕も50歳を超えてから筋トレを始めたんですが、そのときもけっこういろいろ言われましたけどね。

「なんでまた急に」とか「女でもできたんじゃないの?」とか。

意外と正解だったりして(笑)

 

でも、僕はその頃には大なり小なりわがままを通してきてたので、そんなにうるさくは無かったんですけどね。

 

ま、言われ続けたとしても筋トレを止めるつもりはありませんでしたけど。

 

聞いたことがあるかもしれませんけど、看護師さんが病院で何人も亡くなる人を見送り続けて分かったのが、「亡くなる人が最後に後悔するのは、やって失敗したことじゃない。やらなかったことだ。」という話ですよ。

 

どうです?

この話を聞いたとき僕は「そうだ!その通りだ!」と思いましたね。

やれることは何でもやっておこう、チャレンジしようって思いましたもん。

 

って、言ってますけど、正直できなかったこともありますけどね(笑)

 

でもね、その気持ちだけは忘れないようにしてますよ。

 

「失敗してもいい、やらないよりは全然マシだから」

そういう気持ちです。

 

 

第5章:まとめ

 

「カッコいい」の定義は自分だけが決めていいんです。

 

いろんなことを気にしてたら動けなくなってしまいますよ。

 

周りの理解だったり、年齢だったり、そんなことを気にしてたら、ホントに一歩も動けなくなっちゃいますからね。

 

一切無視してアクセル全開でいいんです。

そのくらいの気持ちを持ちましょうよ。

 

「あなたのカッコいいは何ですか?」

 

もしを諦めかけている「カッコいい」があるんなら、悪いことは言いません、もう一回チャレンジしましょうよ。

 

それでは、また!